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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和31年(ナ)1号 判決

原告 辻熊五郎

被告 福井県選挙管理委員会

補助参加人 渡辺隆

参加人 広部与兵衛

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用(参加によつて生じた費用を含む)は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

請求の趣旨として「昭和三十年十月二十五日執行の福井県丹生郡清水町議会議員選挙における原告の当選の効力に関し被告が昭和三十年十二月十八日なした裁決を取消す、右選挙における原告の当選は之を有効とする、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、

請求の原因として、

第一、原告は昭和三十年十月二十五日執行された福井県丹生郡清水町議会議員選挙における候補者であり且つ当選人であるが、被告は右選挙における落選候補者渡辺隆(補助参加人)の訴願に対し昭和三十年十二月十八日「渡辺隆の異議申立に対して清水町選挙管理委員会のなした決定は之を取消す、右選挙における原告の当選は之を無効(清水町選挙管理委員会は「たかし」なる票を候補者渡辺隆、広部与兵衛(幼名貴)の両名に按分した結果、広部一四二、九一票、原告一三五票、渡辺一三一、二四票となつて、渡辺が落選した。然るに被告は右「たかし」なる票をすべて渡辺に対する投票と認定した結果、渡辺一三九票広部一三五、一四票となり、原告の当選は無効と裁決された)とする」旨の裁決をなし、同月二十日その旨の告示をした。そして被告が右裁決において認定した事実並びに理由は別紙裁決書記載の通りである。

第二、然し左の諸点に鑑み、被告のなした裁決は事実誤認も甚だしいもので、到底之を認めることはできないのである。

即ち右裁決によれば、先づ

(一)  参加人広部与兵衛は昭和十年その幼名「貴」を与兵衛と改めて以来右幼名は一般性と普遍性を失い今日においてはもはや右幼名は一般通常に用いられていない事実を認定し、その証拠として、前回行われた福井県丹生郡志津村(町村合併の結果現在清水町)議会議員選挙の際右渡辺、広部の両名がともに立候補したにかかわらず本件類似の投票が当該選挙録に一票も記録されていない事実、広部与兵衛が本件選挙ポスターに自己の名として表示したものが「ヨヘ」である事実を挙示しているが、

右認定は左の如き事実を見落したもので事実誤認である。即ち

(1)  広部与兵衛は久しく小学校教員の職にあつたものであるが、同人の居村(合併前志津村)には当時広部姓を名乗るもので小学校の教員の職にあるものが外に二名(広部リフ子、広部儀一)あつた関係上村人は混同を避ける意味において右広部リフ子を「広部先生」右広部儀一を「儀一先生」広部与兵衛を「貴先生」と呼んでいたのであつて、右の様な関係から幼名を与兵衛と改名した今日においても村人より広く「貴」と呼ばれているのである。

(2)  右の様な実状であり且つ今回の選挙は町村合併後最初の選挙であるから相当の激戦も予想されたので、広部与兵衛は立候補届に際してその幼名且つ通称名である「貴」なる呼称の届出をなし且つ選挙人に対してもその旨の宣伝につとめていたのである。前記裁決は右事実を見落しているのであつて事実誤認と言わななければらない。尚被告は右村議選が行われた昭和二十六年当時においては公職選挙法第六十八条の二が制定されていなかつた事実を見落している。

更に被告は、

(二)  「たかし」又は「タカシ」なる票の投票はすべて他の二名の渡辺姓の候補者との混同按分を避けるための選挙人の配慮によるものと推定しているが、

右の推定は左の事実によつて覆えされるのである。即ち、

渡辺隆は村内において一般に「野向」と言う通称名をもつて呼ばれているのであつて、他の渡辺二名との混同按分を避ける配慮があつたとするならば、むしろ「野向」と投票する方が有効適切であると推定せられるのである。

以上の様な次第で、被告が本件選挙における「タカシ」又は「たかし」なる投票はすべて渡辺隆に対する投票で、広部与兵衛に対する投票であると考える余地なきものとしてなした前記裁決は、失当も甚しいものと断定せねばならない。

第三、甲第四号証の訴願申立書の末尾に附属書類として表示せられている証明書十四通は違法にも被告等が本訴において提出した乙第一乃至第十三号証と同一のものである。このことは、訴願提出の日時が昭和三十年十一月二十四日であるところ、右乙号各証の日附がいづれも右日時より以前であり、本訴に使用する目的ではなく訴願の資料として使用する目的で作成されたものであることが確実であると認定できることによつて、裏付けできるのであるが、果してそうだとすれば、右証明書はいづれも作成名義人が誰に投票したかの証明書であるから、被告の裁決は憲法第十五条第四項の規定に違反し、右違法な資料に基いてなされたものであると言わなければならないことは勿論、乙第一乃至第十三号証を当公廷に提出した行為自体公職選挙法違反である。この意味においても被告のなした裁決は違法として取消さるべきことは当然である。

よつて、被告のなした前記裁決を取消し、原告の当選を有効とする旨の判決を求めるため本訴に及んだ次第である、と陳述し、被告並びに補助参加代理人の本案前の抗弁に対し、

被告等は本訴提起が訴願前置主義を無視したものであるから不適法であると主張するのであるが、之は公職選挙法第二百三条に所謂「訴願に対する都道府県の選挙管理委員会の決定又は裁決に不服がある者」の内には訴願人以外の者は含まれないと言う論拠に立脚するものの如くである。然し右主張は左の如き理由によつて誤りであると言わなければならない。即ち同法第二百三条所定の「不服ある者」は同法第二百二条所定の選挙の効力に関して異議ある選挙人又は公職の候補者(訴願人自身は当然含まれる)と同一意義に解すべく、この点は同法第二百三条が訴提起の法定期間を定めるにあたり二通りの起算日を規定していることによつて全く明白である。詳説すれば訴願人自身については法定期間の起算日は決定書若しくは裁決書の交付を受けた日であり、その他の者については告示の日であると言うことができる訳である。若し仮りに被告等の主張が正しいとすれば、右規定は全く意味をなさないことになるのである。高松高等裁判所昭和二十七年(ナ)第九号選挙無効裁決取消請求事件(高等裁判所判例集第五巻十一号六十三頁参照)も本件同様選挙人の訴願に対してなされた香川県選挙管理委員会の裁決に対し、訴願人以外の候補者であり且つ当選人から提起されたものであるところ、適法なものとして勝訴の判決を得ている次第である。

以上の次第で、被告等の本案前の抗弁は失当として排除せらるべきものであると、述べた。

被告並びに補助参加代理人は、本案前の答弁として、本件訴を却下するとの判決を求め、原告は本件について出訴権を有しないものである。詳説すれば、市町村選挙管理委員会(以下町選管と略称する)は県選挙管理委員会(以下県選管と略称する)に対しては当該選挙区の管理事務に関する限り下級機関としてその指揮監督下にあるものなることは制度自体に徴し自明のことに属する。従つて上級機関たる県選管が町選管の処理せる異議等の事件につき決定を取消すべき旨裁決し、該裁決の結果当選に異動を生じた場合は、町選管は当然之に覊束せられるのである。故に下級機関である町選管としては右告知を受けるや遅滞なく選挙会を開き県選管のなした裁決に順応せる再度の決定をすべきであつて、それは公職選挙法所定の選挙会(法第七十六条以下)、選挙争訟(法第二百二条以下)に関する諸規定の全趣旨より生ずる当然の帰結であらねばならない。而して、この再度の決定に対し異議ある選挙人又は候補者は当該選管に対し異議若しくは訴願等の手続を順次経由すべきであり、県選管が上級機関としてなした裁決に対する訴願については、当該訴願事件につき所定の前提手続を経由せる該事件当事者に限ると解すべく、然らざれば選挙訴訟において訴願前置の主義を採用せる根本原則を没却するからである。尤も本件において訴願人渡辺隆が訴願前置主義による前提手続を経由していることは記録上明白であるけれども、それは当該当事者のことに係るものであり、右関係者外の原告については法律に特段の規定なき限り所定の前提手続を省略し得べき筋合のものではない。されば、原告において訴願前置主義による所定の手続を経由せざる本訴は訴訟手続に違背せるものであつて、この点において本訴は不適法として却下せらるべきであると信ずる、と述べ、

本案について、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として、

原告の主張事実中、第一の事実並びに第二の事実中被告のなした裁決に原告主張の事実を挙示していること、渡辺隆が「野向」と村内で呼ばれていることはいづれも之を認めるけれども、その余の事実を否認する。即ち

第一、本選挙における投票総数、候補者別得票等に関し、清水町選管の決定によれば、

投票総数 千七百十三票

各候補者別得票

候補者氏名      得票数      結果

1  渡辺嘉右衛門  二百二十八票    当選

2  片岡弥三右衛門  百九十七票    当選

3  斉藤安兵衛    百八十一票    当選

4  水上六兵衛    百六十七票    当選

5  林実夫      百五十九票    当選

6  広部与兵衛    百四十二票、九一 当選

註、「広部与兵衛」と氏名も完全に記載せる百三十三票に対し「広部」と氏のみ記載せる四票を按分したる二票一五と、「たかし」「タカシ」とありし十五票を按分したる七票七六とを合せた九票、九一を合算し算出したるもの

7  渡辺覚治     百三十九票    当選

8  辻熊五郎     百三十五票    当選

渡辺隆      百三十一票、二四 次点

註、「渡辺隆」と氏名とも完全に記載せる投票百二十四票票に、「たかし」「タカシ」と名のみ記載せる十五票を広部与兵衛と渡辺隆とに按分して渡辺隆の分として七票二四を前記百二十四票に加算して算出したるもの

以上の通り清水町選管において投票数につき算出決定したものである。該決定に対し渡辺隆は「たかし」「タカシ」とある投票十五票は渡辺隆の称呼として志津地区一般に通用せるものであり、広部与兵衛の幼名「貴(タカシ)」は二十年以前のことに属し与兵衛はヨヘエであり「貴(タカシ)」などと言う者は全然ないのであるが故に、右「タカシ」又は「たかし」と名のみ記載せる投票十五票は全部渡辺隆に算入せられねばならぬ、即ち本件投票中「渡辺隆」と完全に氏名を記載せる投票百二十四票に係争の十五票を加算するときに、渡辺隆は百三十九票広部与兵衛は百三十五票、一五、辻熊五郎は百三十五票であるが故に、辻熊五郎が次点者となるべきである」と主張し異議訴願等をなした結果、福井県選管においては渡辺隆の主張が全部認容せられたのである。

第二、(一)仮りに広部与兵衛を「たかし先生」と呼称した事実があつたとしても、それは同人が学校教師として在職せる二十年前の昔のことに属しており、それが今も尚本選挙区一般に通用しているものでないことは昭和三十一年七月十九日、二十日、二十一日清水町において行われた各証人の証言に徴し窺知し得られるであろうと思う。

(二) 広部与兵衛が立候補に際し清水町選管の求めに応じて幼名通称等を記載した報告書を提出した事実はある。即ち甲第二号証に記載の通り清水町選管第三九号の照会に対し報告したものであつて、自ら進んで之を届出たものではなく、右事務取扱上の便宜に基くものであり重要意義を有するものではない。また原告は選挙人にもその旨の宣伝につとめていた」と主張するけれども、そのような事実はない、却て乙第十四号証として提出したポスターに「たかし」なる幼名が表示されてはなく、「広部与兵衛」又は「ヨヘ」と表示して宣伝し選挙人に呼び掛けたものであつて、幼名の「貴」であるなどと称し選挙運動をしたと言う事実は全証拠を検討しても之を見出し難い、更に留意すべきは、選挙長に対する通称等の届出の有無は投票の効力には何等の影響を及ぼすものではないと言う点である。通称であるか否か而してそれが現在も同選挙区内に通用しておるか否かは実質により投票の帰属を定めねばならぬ(昭和三十年七月二日発第六八号自治庁選挙部長回答参照)。此の点に関し広部儀一の証言中に「与兵衛は広部先生で通つて来ましたが「たかし先生」と言う人もあり今日では「与兵衛先生」と呼ぶ方が多い。普通は「与兵衛さん」と呼んでいる」との供述は広部与兵衛の学校に在職した二十年前の昔物語と解し得べく、該証言は極めて意義深きものあるやに思う、尚、清水町において審問した証人内田久右エ門、渡辺喜右衛門、高橋惣兵衛等はいづれも幼名を更めて先代を襲名したものであつて、同人等は現在昔の幼名を以て呼ぶものは一人もない若し昔の幼名を呼ぶものありとせば一種の侮辱を感ずると証言しており、該証言は見逃しがたい点であろう。

(三) 本件選挙地区において渡辺隆は村人が常に「隆さん」と呼びなれており又同人が昭和八年以来同地区村議として引続き五度の選挙に立候補して連続当選して来た経歴もあり、志津村において村政上著名人であり、その氏名が一般に親しまれていた事実は証人渡辺嘉右衛門、内田久右衛門等その他各証人の証言により軽く看なし得らるべく、従つて「たかし」「タカシ」とある投票は渡辺隆を指称せるものとなすは極めて自然であり且つ合理的であると言わねばならない。況や従来「タカシ」又は「たかし」の票は過去五回の選挙においても渡辺隆の投票として取扱われており、殊に本選挙の直前である昭和二十六年の志津村議選において広部与兵衛、渡辺隆の両人が同時に同一選挙区より立候補した際にも「タカシ」又は「たかし」なる票が相当多数あり、それが証人坂井利雄、木原保、堀川盛の証言により明らかな如く、何らの疑問もなく当然に渡辺隆のものとして算定された事実に徴するときは、本選挙における「たかし」又は「タカシ」とある投票が何人に属すべきかは思い半ばに過ぎるであろう。されば従来の実績より考察するも、「たかし」又は「タカシ」とある投票は渡辺隆に属するものと謂うを得べく、広部与兵衛の二十年前の幼名を知つている者がわざわざ昔名前をホジクリ出して記載すると言うが如きは不自然極まるものであると言わねばならぬ。而して本選挙において渡辺姓のもの渡辺嘉右衛門、渡辺覚治、渡辺隆の三名が立候補しており、之を区別するために「たかし」「タカシ」と記載したものと認むべきは周囲の状況よりして極めて素直なる考え方であろうと思う。要するに、本選挙において清水町選管がなした投票の按分算定は故意に奇をてらい之を敢えてしたものと言うの外なく、右は一般経験則に背くものであり、非常識な処置であると言わざるを得ない。されば、被告が之を取消した前記裁決は相当であると信ずると陳述した。

尚、当事者双方は本件選挙における辻熊五郎、渡辺隆、広部与兵衛の各投票数について左の通り主張した。

原告代理人の主張

一、(一) 辻熊五郎  一三五票

(二) 渡辺隆 一三一、二四票

内訳 1 有効投票一二四票

2 「たかし」又は「タカシ」と記載の一五票を渡辺隆広部与兵衛の各有効投票数に応じて按分したもの 七、二四票

(三) 広部与兵衛 一四一、八九票

内訳 1 有効投票   一三二票

2 「ヒロベ」と記載の四票を広部与兵衛、広部与右エ門の各有効投票数に応じて按分したもの 二、一二票

3 「たかし」又は「タカシ」と記載の一五票を渡辺隆広部与兵衛の各有効投票数に応じて按分したもの 七、七七票

二、広部与兵衛の得票と計算された投票中の別紙第三の一票は無効投票である。

三、本件選挙において他に辻熊五郎と同姓の立候補者はいなかつた。

被告代理人の主張

一、(一) 辻熊五郎 一三三票

原告主張の一三五票中別紙第一、二の二票は無効投票であるから、之を控除すべきもの。

(二) 渡辺隆   一三九票

原告が按分すべきものと主張する前記一五票は渡辺隆の有効投票とすべきもの。

(三) 広部与兵衛 一三五、一四票

内訳 1 有効投票一三三票

2 「ヒロベ」と記載の四票を広部与兵衛、広部与右エ門の各有効投票数に応じて按分したもの 二、一四票

二、原告主張の別紙第三の一票は広部与兵衛の有効投票と認めるべきである。

三、本件選挙において他に辻熊五郎と同姓の立候補者がいなかつたことは認める。

補助参加代理人の主張

一、(一) 辻熊五郎 一三三票

(二) 渡辺隆   一三九票

二、原告主張の別紙第三の一票については、その有効無効を主張しない。

参加人広部与兵衛の主張

一、広部与兵衛 一四二、九一票

内訳 1 有効投票  一三三票

2 「ヒロベ」と記載の四票を広部与兵衛、広部与右エ門の各有効投票数に応じて按分したもの 二、一四票

3 「たかし」又は「タカシ」と記載の一五票を渡辺隆、広部与兵衛の各有効投票数に応じて按分したもの 七、七七票

二、原告主張の別紙第三の一票は広部与兵衛の有効投票と認めるべきである。

(証拠省略)

理由

先づ被告等の本案前の抗弁について按ずるに、被告等は本件訴訟について出訴権を有するものは当該選挙管理員会に対し異議、訴願を経由した当事者に限ると主張する。なるほど本件当選の効力に関する訴訟を提起するについては、当該選挙管理委員会に対する異議、訴願を経由しなければならないことは被告等所論の通りである。然しながら、本件訴訟は異議申立人又は訴願人自身の権利利益を保護する趣旨ではなく、公共の利益を擁護するために当選人決定の違法を矯正して当該選挙の公正を保障する趣旨のものであるから、当該県選挙管理委員会の裁決に対し不服のある選挙人又は候補者は何びとでも訴訟を提起することができるものと解すべきであつて、之を異議申立人又は訴願人に限るべきものではない。このことは公職選挙法第二百七条が出訴期間の起算日を裁決書の交付を受けた日又は裁決書の要旨の告示の日と二通りに規定して、訴願人に関する場合とそれ以外の者に関する場合とを別異に扱つている法意に徴しても明らかである。従つて、被告等の該抗弁は理由がない。進んで本案について按ずるに、

(一)  原告が昭和三十年十月二十五日執行された福井県丹生郡清水町議会議員選挙における候補者であり且つ当選人であつたこと。

(二)  被告が右選挙における落選候補者渡辺隆の訴願に対し昭和三十年十二月十八日別紙裁決書記載の通り「渡辺隆の異議申立に対して清水町選挙管理委員会のなした決定は之を取消す、右選挙における原告の当選は之を無効とする」旨の裁決をなし、同月二十日その旨の告示をしたこと。

(三)  清水町選挙管理委員会が「たかし」なる票を候補者渡辺隆、広部与兵衛(幼名貴)の両名に按分した結果、広部一四二、九一票、原告一三五票、渡辺一三一、二四票となり渡辺が落選したが、被告が右「たかし」なる票をすべて渡辺に対する投票と認定した結果、渡辺一三九票、広部一三五、一四票となり原告の当選は無効と裁決されたこと。

(四)  本件選挙における原告辻熊五郎の得票中一三三票、補助参加人渡辺隆の得票中一二四票、参加人広部与兵衛の得票中一三二票が何れも有効投票であること。

以上の事実は当事者間に争いがない。

そこで、以下本件争点について順次判断する。

(一)  「たかし」又は「タカシ」なる票の按分について、

検証(第一回)の結果によれば、本件選挙における投票中「タカシ」と記載したもの一三票、「たかし」と記載したもの二票あることが認められる。

ところで、成立に争いがない甲第二号証によれば、参加人広部与兵衛は昭和三十年十月二十日付清水町選挙管理委員会の照会に対し、同月二十一日幼名を「たかし」と報告したことが認められるけれども、成立に争いがない甲第一号証、証人斉藤勇太郎、木原保、内田久右ヱ門、渡辺嘉右衛門、堀川盛、渡辺隆、丹尾隆、酒井由兵衛、高橋惣兵衛、酒井金蔵、広部茂雄、高橋治兵衛、渡辺文太郎、広部義一の各証言、証人広部与兵衛の証言の一部、原告本人尋問の結果を綜合すれば、広部与兵衛は明治三十年三月五日生れで幼名を「貴」と称し、大正五年から昭和二十一年三月まで小学校の教員を奉職していたこと、同人が教員奉職当時居村(併合前志津村)に他に広部姓の教員がいたので、之と区別するため同人は「貴先生」と呼ばれていたこと、同人は昭和十年五月十日先代与兵衛の名前を襲名し幼名貴を与兵衛と変更したのであるが右襲名後は「与兵衛先生」又は「与兵衛」と一般に通称されていたのであり、同人と同年輩若しくはそれ以上の年輩の者の間で時に「たかし」と呼ぶことがあるけれども、該呼称はむしろ軽侮の意味を含んでいることが認められるのであり、之にていしよくする証人渡辺信、渡辺茂右ヱ門、戸田喜作、広部与兵衛の各証言はいずれも措信しない。更に証人渡辺隆の証言によつて成立が認められる乙第十四号証、証人坂井利雄、木原保、渡辺隆の各証言を綜合すれば、昭和二十六年施行された志津村議会議員選挙において渡辺隆、広部与兵衛の両名がともに立候補したのであるが、その際「たかし」又は「タカシ」なる投票があつたけれども、何人を記載したかを確認し難いものとして処理されず、何等異議なく渡辺隆の有効投票として加算されたこと、本件選挙において広部与兵衛は「ヨヘ」と表示したポスターを使用していたことが認められるのであり、之にていしよくする証人渡辺茂右ヱ門の証言は措信しない。

以上認定の各事実を綜合考量すれば、広部与兵衛が「貴(タカシ)」と一般に呼称されたのは二十年前のことに属し、本件選挙当時にあつては該呼称が広部与兵衛の通称を意味するものとは到底認めることができない。而して本件選挙に於て候補者氏名に渡辺の呼称あるものは渡辺隆の外に渡辺嘉右ヱ門と渡辺覚治とがおつたことが検証(第一回)の結果に依り明かであるので之を区別するため「たかし」又は「タカシ」と記載したと解するのが選挙人の意思に合致するものと考えられる。

してみると、右「たかし」又は「タカシ」なる一五票は広部与兵衛に按分すべきものではなく。渡辺隆の名「隆(あじさい)」を記載したものであるから、渡辺隆の有効投票と認めるべきものである。

(二)  別紙第一の投票の効力について、

検証(第一回)の結果によれば、本件選挙における投票中別紙第一の通り「ツ」と記載され、その下に墨点の存する投票が一票あることが認められる。

右「ツ」と記載された投票は、候補者の氏名の一部に「ツ」の呼称あるものが辻熊五郎以外にないことは右検証の結果に徴して明らかであるから、候補者辻熊五郎を選ぶ趣旨が表明されているものと解すべく、また墨点についてはその位置、形状、運筆の順序等から見て単に書き損じた墨点と認められ、他に故意の符号その他意識的な他事記載と解すべき何等の資料もないから、右投票は辻熊五郎の有効投票と認めるべきである。

(三)  別紙第二の投票の効力について、

検証(第一回)の結果によれば、本件選挙における投票中別紙第二の通り鉛筆で記載した部分を抹消して筆墨で記載された投票が一票あることが認められる。

該投票は一旦鉛筆で候補者の氏名を記載したが、意思を翻して之を抹消し、更に筆墨で他の候補者の氏名を記載したものと認められ、鉛筆で記載した部分が特に意識的な他事記載とは認めがたくまた筆墨で記載した文字中一部拙劣な文字があるけれども辻熊五郎と判読できるから、辻熊五郎の有効投票と認めるべきである。

(四)  別紙第三の投票の効力について、

検証(第二回)の結果によれば、本件選挙における投票中別紙第三の通り候補者氏名欄に鉛筆書で「ヨ」の文字が記載され、その下部に墨汁様のものが付着した投票が一票あることが認められる。

ところで、右検証の結果並びに鑑定の結果によれば、該投票の「ヨ」なる文字の下方の汚斑の下には明らかに「ヘ」なる文字が記載されており、該汚斑その他の汚斑は墨汁様の物質によるものであり、最初に「ヨ」なる文字の下方に墨汁が付着し、それが充分乾燥しない内に投票用紙を折曲げたことによつて生じたもので、筆等によつて塗られたものではないことが認められるから、該汚斑は不用意に付着したものと推認され、意識的な他事記載と解すべきものではない。

そして右「ヨヘ」なる投票は検証(第一回)の結果によつて認められるところの候補者の氏名の一部に「ヨヘ」の呼称あるものが広部与兵衛以外にない事実並びに前記乙第十四号証に徴し、候補者広部与兵衛を選ぶ趣旨が表明されているものと解すべきであるから、広部与兵衛の有効投票と認めるべきである。

そこで、右(一)乃至(四)において認定した各投票を前記当事者間に争いがない有効投票に算入すれば、辻熊五郎の有効投票が一三五票渡辺隆の有効投票が一三九票、広部与兵衛の有効投票が一三三票となることは算数上明らかである。

更に検証(第一回)の結果によれば、本件選挙における投票中「ヒロベ」と記載された投票が四票あること、候補者の氏名に「ヒロベ」の呼称あるものが広部与兵衛と広部与右ヱ門の両名であること、広部与右ヱ門の有効投票が一一六票であることが認められるから、右「ヒロベ」の四票を広部与兵衛と広部与右ヱ門の右各有効投票数に応じて按分すれば、広部与兵衛の有効投票に算入すべきものは二、一四票となり、結局広部与兵衛の有効投票は一三五、一四票となる。

(五)  原告代理人の第三の主張について、

およそ、投票の効力を判断するにあたり、投票が候補者の何びとを記載したものであるかは、投票の記載自体について判定すべきであつて、特定の選挙人が候補者の何びとに投票する意思であつたかということを証拠調によつて明らかにすることが違法であることは憲法第十五条第四項公職選挙法第五十二条の規定の趣旨に徴して明瞭である。

被告提出の乙第一乃至第十三号証が本件選挙における選挙人が被選挙人の氏名を明らかにした書面であることはその記載自体に徴して認められるけれども、被告が前記裁決をなすにあたり、右乙号各証を判断の資料に供したとの点については、別紙裁決書の記載からは看取することができず、他に之を肯認するに足る何等の証拠がない。従つて原告代理人の該主張は採用することができない。

以上の次第で、本件選挙における渡辺隆の有効投票は一三九票、広部与兵衛の有効投票は一三五、一四票、辻熊五郎の有効投票は一三五票であるから、渡辺隆が当選人となり、原告辻熊五郎の当選は無効とせらるべきものである。

よつて、被告の裁決は相当であり、原告の本訴請求は理由がないから之を棄却することとし、民事訴訟法第八十九条、第九十四条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 石谷三郎 岩崎善四郎 山田正武)

(別紙省略)

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